心療内科・精神科医として

休憩時間を削って予約枠を拡げる
 開院半年を過ぎた2022年6月に入った頃ぐらいから、2週間先ぐらい先まで予約でいっぱいになるようになった。WEB予約のスケジュール表から見ると、予約不可を示すバツ印が並ぶ。しかし、患者さんの中には今すぐにでも診てほしいというご要望の方もあり、何とかならないかという電話相談が増えるようになった。
 電話で相談を受け緊急性が高いと思われる場合、ひーこ先生に相談すると、余程のことがない限り、“予約を受けてください”とあっさりと笑顔で答える。その結果、昼休みが大幅に少なくなったり、夜が遅くなったりするが、ひーこ先生に疲れた様子は見えない。おそらく、医師としては当然と考えているのだろう。
 朝9時ごろクリニックに出勤し、診療が遅くなると、夜クリニックを出るのが20時半ごろになることも少なくない。若くても体力的にはきついはずであるが、診察日のほうが休日よりも元気に見えるのは不思議だ。その姿を見て、正直に“90歳なのにすごいですね!”などと感嘆の声をあげると、かえってひーこ先生は機嫌が悪くなるので要注意だ。年齢のことは言われたくないという姿勢は徹底している。

診察や講演視聴は元気を維持する薬?
 漢方薬剤の各メーカーMR担当の方々からWEB講演や研修の案内が届くと、その当日にひーこ先生はその案内をざっと見る。興味のあるWEB講演をチェックし、届いた当日には参加登録をするのが常だ。講演は平日の昼休み時間や午後診終了後である場合が多いので、講演を視聴すると、昼休みがほぼなくなるか、もしくは夜がかなり遅くなるが、そんなことを気に留めている様子は見えない。無理をして体調を崩したりしないようにと周りは気を遣うが、ひーこ先生本人には、休み時間を削っているという感覚はあまりないようだ。逆に、ひーこ先生にとって診察や講演視聴は、元気を維持する薬のひとつなのかもしれない。

心療内科・精神科医として

心の病だけなく、患者さんの健康快復を願って漢方処方
 患者さんがクリニックや医者に求めるものはそれぞれ異なる。ある患者さんにとっては、ひーこ先生という存在は「心の病も女性特有の体調不良の相談に加えて、漢方薬の相談もできるなんて一石三鳥!」という場合もあるが、「他のクリニックで予約が取れないから仕方なく来院しただけであって、心の不調や不安、不眠で苦しい状態を今すぐに何とかしてほしい」という場合もある。そのような患者さんに対しても、ひーこ先生は、心の状態や睡眠の状態だけでなく、食事ができているか、朝食もしっかり食べているか、顔色、舌の状態、浮腫の有無など、患者さんの話を聞きながら気になる部分を診る。そして、漢方の“心身一如”の考えもあり、心の障害面だけでなく、内科的な症状の改善も同時に願って、浮腫の場合には浮腫改善の漢方も処方したりする。ひーこ先生にとっては、心に限らず、患者さんの心身の健康快復を願っての対応である。

余計な心配は不要と感じる患者さんもいる
 しかし、その対応を願わない患者さんもいる。願わないどころか不信感を持ち、周囲の色々な方に相談されるケースもある。「関係ない漢方薬を処方された」ということであろう。「うつ状態で悩んでいるのに、関係ないお薬を出すのはいかがなものか」などと周囲から言われたのか、患者さんも不安になって、ひーこ先生に不満をぶつけてこられるときがある。そんなことがあると、ひーこ先生も憤りを覚える。ひーこ先生としては都度説明して、インフォームド・コンセントの責務を果たして、患者さんに納得してもらっているつもりだから、なおさらであろう。
 ただ、少しでも早く安心したい、元気になりたい患者さんの立場に立てば、浮腫改善の漢方処方が余計に感じられたとしても、当然なのかもしれない。また、患者さんに納得してもらわなければ、説明責任を果たしたことにならないのも事実なので、ひーこ先生としては憤りの感情を収めて、一生懸命に自身を納得させようと努める。患者さんのことをいつも心配するひーこ先生にとって、心配することが余計なお世話になる場合もある、ということである。
 だからといって、ひーこ先生の心身の健康快復を願う姿勢は今日も変わらない。「朝食はちゃんと食べていますが?寝れるようになりましたか?それは良かったですね」と、今日もひーこ先生も笑顔で語りかける。憤ったとき、たまに独り言をブツブツとつぶやきはするが・・・。

心療内科・精神科医として

座右の銘や尊敬する歴史上の人物はない
 先日、ある方がひーこ先生に「座右の銘は何かおありですか?」と尋ねられたが、ひーこ先生からの回答は「特には何もありません」と素っ気なかった。あとで「本当に座右の銘はないのですか?」と確認したが、やはり特にはないらしい。尊敬する歴史上の人物や影響を受けた先人の書物も特にはない。特定の信仰を持っているわけでもない。ひーこ先生の価値観を探ろうとする人にとっては、暖簾に腕押しのようで捉えどころがない。しかし、ひーこ先生本人は口にしないが、影響を受けている書籍や先達・先輩の生き方は様々にある。

影響を受けた高橋幸枝先生の「こころの匙加減」
 その一人が、一昨年103歳で永眠されたが、それまで100歳を超えても現役精神科女性医師として最前線で活躍された、神奈川県にある秦和会・秦野病院の前理事長、高橋幸枝先生である。高橋先生は海軍のタイピンストを経て33歳から医者の道を志し、50歳を超えて神奈川県秦野に精神科病院を立て、地域医療に尽力された。その生き方・考え方は「こころの匙加減」(飛鳥新社発行)という書籍等に記されており、ひーこ先生はその書籍を読み、大いに勇気づけられた。高橋先生の経歴にタイピストがあることも、ひーこ先生自身の病理学教室時代の姿と重ね合わせるところがあったのか、読了した後しばらくは、高橋先生の話ばかりをしていた。
 もちろん、ひーこ先生は自らのクリニックを開業したばかりで、専業主婦時代に医師としてのブランクも経験し、高橋先生のようにキリスト者でもなければ、院長としての大きな実績を持っているわけでもない。しかし、100歳でも現役医師として社会の役に立つという現実的イメージを抱いたのは、高橋先生の影響が少なからずあると思われる。

自然体で生きる
 雑誌「サライ」(小学館発行)のインタビュー記事のなかで、高橋先生が「90歳を過ぎた時から、世間はいろいろと話題にしてくださるのだけれど、特に自慢できるようなことなんてないんですよ。医者という仕事を、人より少し長くやってきた。ただそれだけです」と語っておられるが、ひーこ先生も同じように、常日頃「自慢できる特別なことなど何もない。ただ、目の前の患者さんに一生懸命に対してきただけ」という言葉を繰り返す。“自然体”という言葉が二人から思い浮かんでくる。

2022年6月7日心療内科・精神科医として

診療内容に合わない患者さんもいる
 ひーこ先生に励まされる患者さんがいる一方で、診察内容に合わない、あるいは満足できない患者さんもいる。
 ひーこ先生の基本的な診察スタイルは、患者さんの話を一生懸命に聴いた上で治療方針を立て、治療もしくは症状の緩和のために、その時点で最善と見立てた薬剤(主に漢方薬)を処方するというものである。将来的にカウンセリングを取り入れたいという夢は持っているが、現時点では認知行動療法やカウンセリングには対応していない。薬に頼らずに何とか症状が良くなることを期待される患者さんの中には、納得がいかない方もいる。また、漢方薬は即効性より全体的な体調を整えながら徐々に効いていく場合が多いので、即効性を期待される患者さんには物足りない場合もある。
 また、発達障害や拒食症・過食症、児童/思春期精神治療なども専門外なので、コロナ禍などで自宅に引きこもり困っておられる親子さんの要望にもなかなか応えられない。
 当然ではあるが、高齢のひーこ先生を見て、人生も含めて経験の豊かさに希望に感じる人もいれば、逆に不安を抱く方もいるだろう。高音域の子音の聴き取り能力が加齢に伴って落ちるため、本人はそれをカバーすべく、診察時は通常の会話よりも一生懸命に聴き取ろうと努力しているが、聴き取り漏れもあることは想像できる。患者さんへの口調は優しいが、必要だと考えたことは明確に患者さんに伝えようとするので、励まされる患者さんがいる一方で、ストレートな意見に引っ掛かりを覚える患者さんもいるかもしれない。

マイナスなことは明日の成長の糧に、出来る限りの診療を心がける
 “すべての症状に対応することは難しいし、過度な期待をされても却って患者さんに迷惑をかけるから”と、ひーこ先生は背伸びはせず自然体を心掛ける。自身が処方した漢方薬を信じて服用してくれる患者さんを前に、患者さんの改善した姿を思い描きながら、ひーこ先生は今日も漢方薬を処方し、“服用を継続してくれれば必ず良くなる。まずは飲んでみてください”と語りかける。
 そうは言いながらも、治療が完了しないまま来院しなくなった患者さんのことが気になるのか、“処方した薬を飲んでもらえていたらいいね”、“他で通院して元気になっていたらいいね”と語りつつも、カルテを眺めながら、漢方薬関連の書物や精神治療等の雑誌論文、講演会で学んだことを読み返して、“この処方のほうが良かったかも”とつぶやく。ひーこ先生としても、寂しさを多少なりとも抱いているはずだ。しかし、そんな素振りはあまり見せない。
 念のため“漢方薬の効用を説明する前に、治療方針をきちんと伝えて患者さんの了解を取ることを忘れないようにしないといけないですね”と年下のスタッフから言われても、“そうだね”と素直に受け入れて実践している。色々な想いを抱きながら、マイナスなことがあっても明日の成長に糧にしている。

2022年6月1日心療内科・精神科医として

ひーこ先生に励まされる患者さん
 ひーこ先生のクリニックを訪れる患者さんは女性が圧倒的に多い。
 患者さんの来院理由では「漢方薬の処方を希望して」というものが最も多い。「女性特有の体調不良の相談」というものも多いが、「経験が豊富そうだから」「女性医師なので」という理由も聞く。「ホームページや紹介サイトの写真を見て、安心して話せそう」「サイトの写真の笑顔がステキで」「サイト写真が優しそう」というひーこ先生の写真の笑顔に惹かれて、というものもある。
 「近くの薬局に相談したら、じっくり話を聴いてくれるはず」ということで来院された場合もあった。受診してみて実際はいかがでしたか?と尋ねてみると、「ちゃんと話を聴いてもらえたので」という答えが返ってきた。薬局の方を嘘つきにせずに済んだようである。
 殆どの場合、来院されるまでひーこ先生の実際の年齢を知る人はいない。しかし、何歳なのだろうと関心を持ってブログやWeb上の紹介記事を読み、実年齢を知って再診に訪れる患者さんが少なからずいる。「とても90歳には見えない」と言って驚くとともに、「先生に逆に励まされました。私も頑張らないと」と笑顔でクリニックを後にする。
 高齢の母親を連れてこられた中年女性は「母を連れてきて本当に良かった。母が“私もしっかりしないと”って自分から言ってくれました」と目に一杯涙を溜めながら語った。初診のときは生きる希望がないと話して娘に連れられてきた別の高齢女性が、いつの頃からか遠くから自分ひとりで来院するようになり、ひーこ先生の前で「栄養に気をつけて食事をするようになりました」と話すようになった。

患者さんに元気をもらうひーこ先生
 一方で、ひーこ先生自身も患者さんの話に一生懸命に耳を傾け、漢方薬の効用を語りながら、患者さんから元気をもらっているようにも見える。開院前後心配が絶えなかった頃と比べて、愚痴にも聞こえる話がめっきり減った。声にも心なしかハリがあるようにも感じる。患者さんがクリニックを出た後、「前回より笑顔が増えた」「多少寝れるようになって良かった」とつぶやくひーこ先生の横顔は何となく嬉しそうだ。
 ある日、午前の診療時間がかなり延びて、午後診療の開始時間までの休憩時間がとても短くなった。ひーこ先生は、顔色一つ変えずに、その休憩時間を紹介状や診断書を書く時間にあてた。夜7時半ごろ、その日の最後の患者さんに「お大事にね」と声をかけて送り出したあと、一息つく暇もなく、昼間自分で洗った弁当箱を拭きながら片づけ始めた。「今日はたくさん患者さんを診たので疲れたでしょう?」と尋ねると、「たしかに頑張ったねぇ」とひーこ先生は笑顔で答えた。本当にタフだ。
 もちろん、良い場面ばかりではない。ひーこ先生と合わないと感じる患者さんもいる。

心療内科・精神科医として

開業後数ヶ月は閑古鳥が鳴
 ひーこ先生が昨年11月末に心療内科・精神科クリニックを新規開業してから、いつの間にか半年近くが経とうとしている。患者数ゼロからの出発だったため、数ヶ月はクリニックも閑古鳥が鳴いていた。口コミや紹介で来院する患者さんも、いつ来ても他の誰にも合わないなあ、と不思議に感じていたかもしれないが、患者さんが少なかっただけである。
 その頃、周囲からは早くも、辞めておいたほうが良かったのでは?とか、閉院・撤退するタイミングをそろそろ考えた方が良いといった声も聞こえてきた。診療報酬も少なく、余剰資金もないため広告も出すことが出来ず、ホームページ作成を依頼する費用もなかった。ひーこ先生自身も、”半年か一年で閉院することになるのに開院すること自体、無責任ではないのか”という言葉を直接投げかけられたこともあった。身近な人から「大人のごっこ遊びだね」と冗談ぽく言われもした。

心配や不安とは上手く付き合っていくしかない
 90歳で開業するなんておこがましいのではないかという気持ちを元々持っていたひーこ先生だけに、そのような言葉を聞いて、一時的には気分が落ち込んだ。やはり辞めておいたほうが良いのかと考えもしたが、辞めて他に何かしたいことがあるわけでもなく、コロナ禍で苦しむ人たちのために自分自身が少しでも役に立つことが出来たらという想いは消えない。“周りの声なんて気にせず、お母さんのことを待っている人たちがきっといるから、その人たちの方を向けばいいんじゃない”という娘たちからの言葉に背中を押され、心配や不安とは上手く付き合っていくしかない、出来ることを精一杯やるしかないと、ひーこ先生は考えたという。

閑古鳥の声ではなく、患者さんの声がする診察室
 周りのサポートでホームページも無料で作成してもらい、色々な病院検索サイトの協力も得て、ネット上で情報が出るようになると、開業後4,5ヶ月経ったころから少しずつ患者さんが増え始めた。コロナ禍で心療内科を受診する患者さんが増えたのか、他の心療内科・精神科クリニックで予約が取れないからという理由で仕方なく来院された患者さんもいらっしゃったかもしれないが、ネット上のひーこ先生の顔写真を見て、その笑顔に安心してお越しになる方もいた。
 開業から半年経った現在、閑古鳥が鳴くことはなくなった。目の前の患者さんが話す内容に対して、声の調子やテンポ、表情、雰囲気、そしてこれまでの人生経路などを気にしながら、一生懸命に耳を傾けている。時々、ひーこ先生は、何気なく“半年か一年で閉めることにならないようにしないとね”という言葉を口にする。ひーこ先生の中に宿るちょっとした反骨心から発せされるように思える。

心療内科・精神科医として

様々な葛藤を乗り越え、医師復帰を決意
 忙しく大変な日々にあって、自身の興味があることに飛び込んで、行動しながら学びつづける、充実した専業主婦時代だったが、ひーこ先生は、医師としての仕事を続けたいという思いにかられ、上の三人の子どもたちが大学に進学したのをきっかけに、医師復帰を決意した。
 その当時のことをひーこ先生は多く語らないが、学びや成長に対する貪欲なまでの意欲、あるいは向上心とともに、様々な葛藤もあったに違いない。上の三人の中から、夫の職業である歯科医師を継ぐことができる歯科大生、自身の医師として系譜を継ぐ医科大生が出たことにより、一区切りの思いはあったことが想像されるが、まだ小学生を含む四人の子どもたちの子育てや家事も残っていた。医師としての14年にわたる長いブランクもあった。再び出来るのかという不安も多くあったことは想像に難くない。しかし、何かを新しく始めるには50代というのは、体力的にも気力的にもギリギリのラインだったに違いない。
 さらには、医師スタートと結婚・出産がほぼ同時期で、医師として十分に活躍できていない思いや未達成感があったかもしれない。また、女性医師が一般的ではない時代に、自身が医師になるために、ずっと応援し協力してくれた母親に恩返ししたい、という想いもずっと抱いていたのかもしれない。多くの思いを抱えていたと思われるひーこ先生の背中を夫がそっと押した。

産婦人科ではなく、精神科医師として再スタート
 ひーこ先生は、思い切って、大学院時代の恩師に医師を再出発したい旨を相談した。ひーこ先生は神経内科、とくに脳神経関連を勉強し、貢献したいと考えていた。恩師は、快く相談に応えてくれたが、当時は母校に脳神経科がまだなかったらしく、精神医学教室を紹介してくれたという。
 1983年、京都の母校の精神医学教室に入局し、精神科医師となるべく、再スタートを切った。年下の指導教官に教えを乞いながら、寝る間を惜しんで精神医学を学び、患者さんの話を聴いた。研修と診察を兼ねて、週に一度は名古屋まで出かけた。それでも家事・育児はさぼらなかった。

母への感謝を抱きながら、経験を積む
 さらに忙しい日々を送りながらも、精神科医師としての経験を積むことに必死だった。京都の岩倉にある精神科病院に新たに働き口を見つけ、病気に苦しむ患者さんを治療するために一生懸命に患者さんに向き合った。
 当時を振り返るとき、ひーこ先生はいつも「健康な体に産んでくれたから」という言葉を口にする。戦時中、母は自分の大切な着物を売ってお米に替え、自分は栄養失調で体を壊しても娘には食べさせてくれた。ひーこ先生は、戦時中の12歳のとき、全国の健康優良児として表彰された。その母親のおかげで、どんなに忙しいときも体を壊さず、医師としての仕事を、家事・育児と両立させることができた、とひーこ先生は思っている。亡き母がひーこ先生の原動力の一つであることは間違いない。

心療内科・精神科医として

 コロナ禍で不安や孤独感が大きくなったり、心身のバランスを崩したりする方が多くなっているということは、ひーこ先生が引退ではなく新規開業というチャレンジをした大きな理由の一つであるが、ひーこ先生には医師として実現したい一つの理想があり、その理想がひーこ先生を開業に導いたともいえる。

ひーこ先生の理想 ~未病への対応~
 ひーこ先生の理想とは、未病の状態で積極的に対策を施し、健康寿命を延ばし、心も身体もずっとキレイ、ゲンキ、ずっとイキイキを実現していくこと、といえる。そして、ひーこ先生が考える未病対策は、日々の食事、栄養、運動、睡眠を整えることであり、東洋医学的な漢方による体質改善である。
 未病とは、一般的に健康から病気に向かっている状態を指し、日本未病学会の定義では、①検査結果に異常はないが、自覚症状がある場合、②自覚症状はないが、検査値に異常がある場合、を指すとされている。

治療に至る以前の日々の生活習慣へのアプローチが重要
 26歳にしてiPS細胞から血管構造を持つヒト肝臓原基を作り出すことに世界で初めて成功し、30歳半ばにして東京医科歯科大学教授と横浜市立大学特別教授を兼任する武部貴則先生は、著書「治療では遅すぎる」(日本経済新聞出版)の中で、一人ひとり、また周りの人々がふだんの生活の中でもっと健康問題に介入する必要があると同時に、現在の医療には患者の周辺にいる人たちの治療・ケアという概念がない(患者の家族は精神的にも肉体的にも疲弊していることが多い)など様々な課題があるとして、次世代の医療は、病を診る医療から、人を観る次元の医療体系への拡張、すなわち、患者の生命の危機のみならず、人々の生活や人生をも対象とした新たな医療への変貌が不可欠であると、その根本的な転換の必要性を述べている。
 また、「精神疾患の脳科学講義」「研修医・コメディカルのための精神疾患の薬物療法講義」(共に金剛出版)など精神疾患の治療に関する著書の多い、帝京大学医学部附属病院の功刀浩教授も「こころに効く精神栄養学」(女子栄養大学出版部)や「心の病を治す 食事・運動・睡眠の整え方」(翔泳社)などで、心の病には日々の食事、栄養、運動、睡眠を整えることの重要性を訴えている。

100歳での現役を目指す大きな理由
 ひーこ先生は、心も体も病気や重症になってからでは、ご本人もご家族も負担が大きい、とくに心の病の場合、治療が生涯続くことも少なくなく、さらに社会の偏見も根強く残っているため、それらの負担を考えると、病気として症状が現れる前の未病の状態で、できる限りの対応をしたい、と考えており、それが当たり前になる世の中を実現したいと考えている。その実現のため、残りの人生を捧げたいと願っている。それが100歳での現役を目指す理由でもある。

2022年3月29日心療内科・精神科医として

 開業したものの、患者さんはゼロ。

最初の患者さん、そして娘たちの協力
 最初の患者さんは、以前にひーこ先生から漢方を処方してもらったことがあった自分の娘(三女)だった。一年以上新規患者の診察から遠ざかっていたひーこ先生は、高齢の自分が新規開業することによる周囲からの風当たりの強さから来る自信のなさ(「今更開業するなんておこがましい、と心の中ではみんな思っているのではないか」)も相まって、不安でいっぱいだった。それゆえ、4人の娘たちはひーこ先生にとってとても有難い存在だった。それぞれに自分たちが出来る形で協力をしてくれた。歯科医師の長姉は、ひーこ先生の不安を少しでも和らげるために、遠く離れた嫁ぎ先から、自分の娘とともに日々電話での連絡を欠かさない。次妹は身の回りの世話をしながら、日々ひーこ先生の話に耳を傾ける。末妹は、孫たちを連れて実家を訪れ、話相手になる。また、ひーこ先生の一番のファンでもある。“ひーこ先生が効くと言った薬は効く”と心から信じている。
 ひーこ先生は、そんな娘たちの励ましのなかで、不安を少しずつ解消していくためにも、まずは知り合いに開業したことを連絡するところから始めた。

身体のメンテナンスの必要性が生じる ーリハビリ期間と割り切るー
 しかし、不安材料はその点だけではなかった。それまで年齢も気にせず頑張ってきたためか、眼、耳、膝をはじめ身体の色々な部分のメンテナンスが必要であることがわかってきた。年齢からすれば当然のことであるが、ひーこ先生は体もスーパーで他の人とは違うのだという思い込みが周りにもあった。だが、普通なら弱気になると思われるところで、ひーこ先生は、開業して数か月は、身体のメンテナンスもしながら、無理をせず患者さんと向き合っていくリハビリ期間と割り切ることにした。
 前例のない年齢で、患者ゼロからのスタートなのだから、最初からすべてが上手くいくはずがない、しばらくは忍耐が必要、我慢比べで負けないこと、と自身に言い聞かせながら、ひーこ先生は不安な気持ちを抑えた。

患者さんの笑顔や言葉に勇気や責任感をもらう
 12月、1月、2月と過ぎ、メンテナンスにより身体の不安材料が少しずつ消えていくと同時に、診察室で患者さんの話にじっくり耳を傾けながら真摯に対応していくと、初診時に涙を流しながらしばらく話が出来なかった患者さんが、再診時に漢方で少し落ち着きを取り戻し、笑顔を見せるようになり、その笑顔を見ながら、ひーこ先生もやる気と責任感を取り戻し、不安感も少しずつ和らいでいくのを感じていた。
 そうしている間に、クリニックのホームページやWeb予約サイト、ブログサイトなども順々に立ち上がり、インターネット経由で患者さんの予約も入り始めた。インターネット経由で初めてひーこ先生を見た患者さんから、再診時に「漢方が思ったよりも飲みやすくて落ち着いてきたのもあるんですが、先生のお顔を拝見することで凄く安心できて・・・」という言葉をもらうことで、ひーこ先生自身にも希望が見え始めた。元気でありさえすれば、役に立つことはできる。

2022年3月19日心療内科・精神科医として

 令和3年12月の誕生月を目の前にして、通称「ひーこ先生」は京都で心療内科・精神科を開院した。90歳目前で新規開院するなんて馬鹿げている、リスクしかない、患者さんに責任を持てるのか・・・などという声も周囲から少なからず聞こえていた。
 遡ること約一年前、勤務先のクリニック院長から外れ、初診の患者さんを診ることもなくなり、事実上の引退勧告をされており、ひーこ先生は引退すべきか真剣に悩んでいた。

高齢であることによる様々な壁葛藤
 普通に考えれば、89歳まで現役医師として患者さんに向き合っているだけでも大したことと言えるのではないか。周りからよく頑張ったと拍手喝采を浴びてもいいぐらいかもしれない。しかし、ひーこ先生にとって暦年齢は関係なかった。本人曰く、年齢をほとんど気にしたこともなかった。医師に定年がないのも確かなことだった。コロナ禍で心身のバランスを失い、苦しんでいる人が多くいる、という話も周りから聞こえてきていた。
 個人クリニックを開業して、それまで培ってきた30年以上の精神科医としての経験と20年以上の漢方専門医としての経験を生かし、心身のバランスを崩した、とくに女性の患者さんに対して、比較的副作用の少ない漢方処方をメインとした治療を施し、役に立つという選択肢は本当にないのだろうか。高齢であれば本当に引退するしか選択肢はないのだろうか。たしかに、銀行が開業資金を貸してくれるわけでもなかった。

7人の子供たちのサポート、そして開業
 7人いる子供たちもどうすべきか真剣に話し合った。どういう選択が母親にとって周りにとって最良の選択なのか・・・。
 ”治療範囲は広くはないが、漢方処方による精神科通院治療という方法で患者さんに役に立つことはできるかも”という、医師をしている長兄の言葉がキッカケだった。ひーこ先生の想いを実現するために、子供たちがそれぞれ自分たちができることを考え、協力し始めた。旧勤務先の医療法人の責任者はじめ、ひーこ先生の心意気に賛同する人たちも少なからず現れた。三男は知り合いの不動産や工事業者に掛け合い、自分でも内装を手伝った。三男の妻もカーテンを縫った。費用をかけない方法を皆が協力して模索し、汗をかいた。長兄はひーこ先生本人が倒れた場合をはじめとした様々なリスクを考えて、いざというときのために、周りの医療機関に挨拶廻りをした。それまでのひーこ先生の人徳ゆえでもあった。
 開業費用はごくわずかだったが、数か月後、何とかクリニックは開院した。ただ、患者さんはゼロからのスタートだった。