心療内科・精神科医として

しばらく様々な反響が続いた 
 令和5年2月6日付けの京都新聞朝刊にひーこ先生のインタビュー記事が比較的大きく掲載されたことは先日書いたが、その反響は少なからず続いた。一週間ぐらいはクリニックのホームページの閲覧数が一気に増えたたほか、Webや電話を通じて受診の予約や問い合わせが相次いだ。クリニックの受付は応対にあたふたする日々が続き、苦笑いを浮かべるときもあった。
 長女の小学校時代の担任の先生から、”懐かしい”ということでご連絡をいただくこともあった。”下鴨”という土地に懐かしさを感じられる方からのご連絡も頂戴した。治療をしたいというよりは、一目会って話がしたいという理由で受診されるケースもあった。しかし、やはりメインは、今までずっと心身の不調を我慢をしてきたが、漢方で良くなるなら・・・と初めて心療内科の門をたたく方、精神科に通っているがなかなか良くならないので光を求めてお越しになる方、そして、家族の心身の不調を相談できるのではないかと相談先を求めてお出でになる方々であった。抗不安薬や睡眠導入剤への依存から抜け出したいという方も漢方への移行に希望を抱いてお越しになる。

新聞記事に大きく取り上げられたことを忘れたかのように、普段通りの「ひーこ先生
 ひーこ先生は、反響があることに悪い気はしていないのだろうが、元々目立ちたい性格ではないこともあり、自分から新聞記事のことをほとんど話題にしない。インタビューに慣れているタレントや学者の方なら、一つ一つの記事を話題にしないというのも納得できるのだが、初めて大きく記事に取り上げられたら、凡人なら”どうだった?”等と周りに感想を求めたりするのが普通のように感じるが、人に自慢したりしないばかりか、新聞記事を読んできたという患者さんに対しても、新聞記事の感想などを聞いたりはせず、普段と変わらない診察を行う。周りから見ていて、もしかして先生は新聞記事に取り上げられたことを忘れているのでは?と思うくらいだ。患者さんがたとえ興味本位で受診されたとしても、患者さんが訴える症状に対して、どの漢方が一番最適だろうと一生懸命に考えて患者さんに話す姿が、いつにも増して輝いているように見えた。

心療内科・精神科医として

 先日6日に京都新聞朝刊の「来た道 行く道」という福祉ページにひーこ先生のインタビュー記事が掲載された。その記事には、主に大学を出た頃から漢方心療内科を開業するまでのひーこ先生の半生の要約、そして今後の抱負などが比較的わかりやすく書かれている。先生の写真も含めて、4段組みで結構大きめの取り扱いだったからか、ホームページへのアクセス数も一時的ではあるが、通常日の20倍近くになり、加えて電話での問い合わせも少なくない。受診のための相談問い合わせから、息子娘、孫の相談、さらには先生に会ってみたいというアイドルのような問い合わせもある。嬉しい反面、少しイメージが先行している面もありそうだ。

苦手なインタビューを受ける
 ひーこ先生は、元々表に出たい性格タイプではないこともあり、インタビューを受けることはどちらかと言えば苦手だ。インタビュー前日まで憂鬱な気分を少なからず抱えて、クリニックに通っていた。「どんなことを話せばいい?」「何を聞かれるのだろう?」「周りの方々に偉そうにインタビュー記事なんかに出て・・・とか言われない?」等と不安な気持ちを時々言葉にしていた。本当は断わりたかったようだが、お世話になった方からのご紹介でもあったからか、インタビューには誠実かつ丁寧に答えていた。写真に写るのも実は苦手だが、インタビューアーの要求通り素直に笑顔で応えた。普段なら話さないようなプライベートな話題にも実直に対応していたのがとても印象的だった。

インタビュー後はご本人は結構あっさり
 インタビュー前は不安でいっぱいという感じに見えたが、記事掲載後は結構あっさりしているから不思議だ。写真写りがイマイチだと自己評価する以外は、「思っていたよりも大きめの扱いだったねぇ」と話すだけで、周りの反応はあまり気にしていない様子。インタビューが終わった時点で、新聞記事のことはもう終わっていて、ひーこ先生の関心は、もう次に移っていたのかもしれない。周りは、その後の問い合わせなどに追われているのだが。

インタビュー記事にご関心のある方は、以下をご参照ください。
https://fukushi.kyoto-np.co.jp/column/kitaiku/230206.html

一人の人間として

戸惑いながらも人生初の出版
 ひーこ先生が人生初のエッセイ本(「ほどよく忘れて生きていく」サンマーク出版)を出版した。
 元来は表に出たいタイプではないので、通常は自分のことを開示することはほとんどしない。今回も、本人が出版したいと希望したわけではなく、昨年の5月頃に出版社からお話をいただき、皆さんのお役に立てるなら、また本を出せるなんて人生で誰しもが経験できることではないからと、了解した。しかし、実際のところは複雑な思いを抱えているに違いない。
 「恥ずかしい」という言葉はひーこ先生の口から何度か聞いた。読んだ人がどう思うか分からないことに対する不安や、”その年齢でこんな本を出しておこがましい”と知っている人から言われるのではないか、という不安も感じてきたようだ。いつもは楽観的な先生だが、今回は初めてのことで、先が見えないだけに戸惑いも見てとれた。だが、出来上がった本を見てからは、後戻り出来ないと感じたのか、不安を口にすることはなくなった。

読者がもっと自分を大事にすることが出来、少しでも読者の役に立てれば嬉しい
 クリニックを開業して、ようやく患者様がお越しになり始めたころ、通院している方のSNSを介して、ひーこ先生の存在が出版社の方の目に止まった。先生は当たり前のことを普通にしているだけという感覚だが、一般的に考えると、7人の子育てをし、専業主婦を経て50歳を超えて精神科医として復帰し、89歳でなお新規開業、しかも漢方メインの心療内科の女性医師という存在は、当たり前ではなかったということらしい。通院して下さった方のSNSを介して話が広がったことを、先生は不思議な縁と有難く感じている。
 本日1月19日の発売日を迎えて、書籍タイトルを見ながら、「”ほどよく忘れて生きていく”って、認知症になって生きていくのがいいですよ、って言いたいんじゃないからね。そんなふうに勘違いされたら困るけど」と苦笑いしながら話す。何歳からでもやりたいと思うことがあればやってみてほしい、周りに色々な気を遣って我慢していた人がもっと自分を大事にして生きてもらえたら、というひーこ先生の思いが、読者の方々に少しでも伝わり、少しでも多くの方がこれからの人生を前向きに楽に過ごしてもらうと同時に、自分の生きてきた人生が人の役に立てるのではあれば嬉しいという先生の願いが実現することを心から願う。

一人の人間として

 2022年11月、クリニックを開院してなんとか一周年を迎えた。年末28日には2022年の最終診療を終え、2022年を無事?乗り越えることができた。患者さんや家族をはじめ、多くの方々に支えられて、なんとか一年経った。

一年前の不安を都合よく忘れている
 振り返れば、開院前はひーこ先生にとって不安は決して小さくなかった。患者さんのお役に立てるのか、患者さんはお越しになるだろうか、自身の健康面は大丈夫だろうか、コロナに罹患しないだろうか、などなど挙げればキリがないぐらい不安材料はあり、周囲からの反対もあった。体調も崩した。高齢で頑張ることをマイナスに受け取る向きも少なくなかった。
 受診される患者さんの中には、悲しい出来事や不安な気持ちをずっと抱えている方が少なくない。思い出しては苦しくなる。その気持ちが強いほど簡単に消えるものではないように感じる。
 しかし一年経って、ひーこ先生は開院前の不安を都合よく忘れているようだ。ガランとしていたクリニックや苦しんでいた日々のイメージはあまり先生にはなく、初めから患者さんがお越しになっていたかのように話すことが多い。もしかすると、自身の中では、不安な気持ちも覚えているものの、あえて忘れるようにしているのかもしれない、と周りは考えたりするが、真意は分からない。

一年前と変わったところ
 一年前と変わったところと言えば、ひーこ先生が少し太ったこととクリニックでの脚を鍛えるエクササイズを増やしたことだろうか。本当に太ったかどうかは周りからは分からないが、クリニックでの昼ごはんの時間が15時近くになってしまうことや、午後診療のある日は夕食の時間が遅くなってしまうことは太る要因になっているかもしれない。
 また、クリニックへの出退勤時には歩くが、少し歩く距離や時間が減っていてカロリー消費も減っているかもしれないこともあり、脚の筋肉を鍛えるために、フィットネスクラブ発案のバウンドクッションを新たに手に入れて、午前診療と午後診療の間に利用し始めた。バウンドクッションは、座ったままで誰でも簡単に下半身の筋肉をシェイプアップできるようなので、毎日3分間ずつだが、エクササイズしている。少しでも効果が出て、大腿部の力が向上したら、普段歩く距離を延ばしてみようか、とひーこ先生は話す。新たな挑戦を始めたようだ。

心療内科・精神科医として

白衣を着て診察するひーこ先生
 ひーこ先生は白衣を着て診察する。病院では白衣や診察着の先生が多いが、他の精神科クリニックなどを訪れると、先生がカジュアルな服装をしておられることも多い。実際、現在のクリニックでは薬品や血液などを扱うこともなく、さらにアクリル板で患者さんとの間は区切られているので、白衣を着る必要性はない。
しかし、ひーこ先生は、他のクリニック時代も含めて、以前からずっと白衣姿。左の袖には某医科大学のマークがある。

白衣にこだわりはない
 白衣に対して、もしかしたら何か医師としてのプライドが秘められているのかと想像し、ひーこ先生に、なぜ白衣なのかと尋ねると、なんのこだわりもないとの返答だった。以前から白衣を着ているし、病院でも他のクリニックでも周りの先生方も白衣や診察着だったので、違和感を持ったりすることもなかったようで、あえてこだわる理由を挙げるとすれば、体型が隠せるかららしい。秘密やこだわりを聞けるかと期待していたが、軽く肩透かしを食らった。
 逆に、何か素敵なユニフォームがあれば教えて欲しいと言われた。ひーこ先生に普段着のままで診察をするという発想はないようだ。白衣は仕事着のひとつで、診察をするときは仕事着に着替える。ONとOFFをきちんと分けているということらしい。ONのときは「ひーこ先生」で、OFFのときは「ひーこさん」。
 白衣を着たひーこ先生は、背筋も伸び、年齢を感じさせない聡明さとしっかりした口調で患者さんに向き合う。白衣を脱ぐと、心なしか背筋が・・・。白衣にこだわりはなくとも、白衣を着るとスイッチが入るようだ。白衣には、ひーこ先生を心療内科・精神科医師に変身させる、そんな不思議な秘密があるといえそうだ。

一人の人間として

早食いのデメリット 
 ひーこ先生は食べるスピードが普通の人に比べては速い。急な分娩対応に迫られることによる産婦人科医(元)としての職業グセなのか、若い頃からずっと続いているらしい。
 大食ではないが、普通の大人の量をしっかり食べきる。うなぎは好物ながら、基本的にあまり高価な食事は望まない。ただ、味には敏感で、美味しい場合は“美味しい”、美味しくないと感じた場合は“美味しくなかった”と比較的はっきり口に出す。早食いながら、しっかり味わって食べているようだ。
 早食いは脳の満腹中枢が刺激される前に食事を食べ終わってしまうので、食べ過ぎにつながったり、血液中の糖を急激に上昇させ血管内部にダメージを与えるため、それを繰り返すことで、心筋梗塞や脳梗塞、糖尿病や認知症、がんになるリスクも懸念され、デメリットが多いと言われる。また、高齢になると、よく噛んで食べないと誤嚥による肺炎の危険性が高まるので、とくに注意が必要だ。

ゆっくり食べている時間がない
 しかし、次女が作ってくれる昼のお弁当を美味しそうに食べる、ひーこ先生の姿を見ていると、なんとも微笑ましい。最近は午前の診察が15時ぐらいまで延びることが少なくないので、午後の診察開始まで間があまりなく、実際のところゆっくり食べている時間もない。昼食の時間が遅くなるので、“お腹は減りませんか?”と尋ねるが、“全然”とひーこ先生は答える。患者さんと接しているとあまり気にならないらしく、たまたま午前の診察が早めに終了した日には、かえって“お腹が減ったね”と言う。比較的昼の休憩時間があるときぐらい、ゆっくりお弁当を食べればいいが、時間があってもなくても、食べるスピードはあまり変わらない。
 口の中に食べ物が入っているときに、お茶を一口飲んでむせるときがあり、そのときはドキリとする。長年の習慣を変えるのは簡単ではないが、今からでも早食いは直してもらわないと心配ではある。ただ、数あるクリニックの中でひーこ先生のクリニックを選んで、勇気をもって来院してくださる患者さんの置かれた状況に少しでも応え、一人でも多くの患者さんと対したいというひーこ先生の希望を叶えようとすると、どうしても昼休みの時間は短くなりがち。なんとも悩ましいところだ。

一人の人間として

脳の若さを保つ所作に溢れている
 “メンタルヘルスx運動の第一人者が、心の不調に効く運動法について、最新科学のエビデンスに基づいて紹介する”と謳っている新刊書籍「うつ病は運動で消える~神経科学が解き明かした「心の不調」のリセット法」(ジェニファー・ハイズ(著)、ダイヤモンド社)の第5章「認知症を予防し、脳の若さを保つ」には、認知症リスクを下げ脳の若さを保つために、いかに運動の効用が高いか、が記されている。
 その内容を読んでいると、ひーこ先生の日頃の発想や言動は、認知症リスクを下げ、脳の若さを保つ所作に溢れていることを感じる。
 例えば、上記の書籍には、歳を取ると体力や気力が衰えるという加齢の固定観念が老化をまねく、あるいは認知症は心配したり、記憶力の衰えに意識を向けるほど思考力に悪影響が出て、認知の衰えは現実になるといった内容が記されているが、ひーこ先生は、本当に自身の年齢のことを考えていない。年齢のことを言われるのを嫌がるばかりでなく、年齢に関わらず脳は成長すると思っている。現在、日本精神神経学会や日本東洋医学会の専門医を取得しているが、4年ないし5年後の更新を見据えて講演会を視聴することを怠らない。
 また、否定的なことを考えたり、年齢の固定観念に囚われず、前向きなこと、新しいことにいつも関心を寄せている。患者さんにもよく“楽しいことを考えて!”と声掛けをするのは、自身がそのように考えているからのようである。
 余談ではあるが、ひーこ先生はSDSうつ病自己評価尺度といううつ病のスクリーニング簡易検査の20項目ほどの点数を足し算するスピードがすごぶる速い。少なくとも、近くにいる筆者よりも遥かに速い。

年配者の固定観念を持ち合わせていないよう
 加えて、上述の書籍では、“固定観念の脅威は、高齢者の身体能力にも影響を与えます。歩く速さのような基本的な能力すら変えてしまうのです。年配者は足が遅いという固定観念があります。この意見があまりにも強いため、多くの高齢者は固定観念の期待の低さに合わせるように、つい歩く速度が遅くなってしまうのです”と述べている。以前のブログでも書いたが、ひーこ先生は歩くスピードがなぜか速い。歩幅は狭いものの、なぜそんなに焦って歩くのですか?と聞きたくなるように足を動かして前に進む。気持ちが前を向いているが、やることがあるからなのか・・・。少なくとも、ひーこ先生は、年配者は足が遅いというような固定観念などは全く持ち合わせていないようだ。

2022年9月1日漢方専門医として

朝食は食べていますか?
 患者様にご記入いただいた問診票や適応状況アンケートを見ながら、ひーこ先生は患者様に対して、“朝食は食べていますか?”、“朝は陽の光を浴びていますか?”、“水分やミネラルは摂っていますか?”ということをよく尋ねる。20代、30代の女性が来院された場合は朝食のこと、60代以降の方が来院された場合は水分やミネラルの補給のことを尋ねることが多い。
 正確なデータは取っていないが、心身の不調を抱えている20代、30代の女性の多くが朝食を食べていないと答える。その場合、ひーこ先生は“牛乳一杯でもいいから朝食は必ず取ってくださいね。心の調子を整えるためにも朝食は大切ですよ”と答える。適度な栄養摂取、適度な休養が健康には大切、というメッセージの一つの表現のようである。
 不眠や不安な夜を過ごした朝は、どうしても身体は不調で、朝食を食べる気持ちにも状況にもないのかもしれないし、忙しくストレスフルな生活では朝食をゆっくり取ることも難しいかもしれないが、東洋医学の心身一如の考えからすると、心の調子を整えるために、逆に朝食をゆっくり取る時間をまず確保するところからリスタートしてみるというのも一案なのかもしれない。
 夜型の方や生活習慣が乱れ気味の場合には、“朝の陽の光を浴びるようにしてくださいね”とひーこ先生は伝える。生活習慣の見直しは、口で言うほど容易なことではないが、ひーこ先生は、漢方薬を朝食前に服薬をするように勧めるので、朝起きたら陽の光を浴びながら、漢方を飲んで朝食を食べて一日をスタートするきっかけにするという手段もあり得る。

心の不調も身体の不調もつながっている
 栄養や生活習慣のこと以外にも、ひーこ先生は、血圧の状態や舌の状態などからむくみの様子を診ながら、“食欲はありますか?”、“便通はどうですか?”、女性の方には生理痛や生理前のイライラについて尋ねる。最近はPMS(月経前症候群)に悩まれる方が多いと言われるが、心の不調がPMSと関連しているケースはごく一般的なように見受けられる。
 身体不調と心の不調のどちらが原因かはわからないが、PMSに限らず、心の不調とそれら身体症状はつながっているのか、心の不調を感じている方が何らかの身体不調も併せ持っている場合は多い。心も身体も両方の不調を、漢方で整えようという漢方医学の取り組みは理にかなっているようにみえる。

心療内科・精神科医として

話を聴いてくれるという患者様の感想
 最近、何回が通院していただいている患者様に、感想や改善点をお聞きすることがある。すると、一番多い感想が“話を聴いてくれる”、“親身になって診察してくれる”、“丁寧に対応してくれる”といったひーこ先生の診察時の姿勢に対するものだ。次に多いのが、“漢方が効いている”、“副作用の心配をあまりしなくていい”、“漢方薬の相談をできる”といった漢方処方に関するもの。
 もちろん、複数回通院されている患者様は、効用をそれなりに感じているから通院されているのであろうから、評価がある程度高くなる傾向にあるため、改善を本格的に検討するには、初診後に再診を希望されなかった患者様に感想を聞く必要があると思われる。実際、初診時に“話が噛み合わなかった”“話を聴いてもらえなかった”というご意見を伺うこともある。
 患者様がひーこ先生に話を聴いてもらっているという感想をもつのは、もちろん先生が一生懸命に患者様の話を聴こうとしているからではあるが、患者様がひーこ先生の話を聴こうという姿勢があるか、ひーこ先生が患者様の話を理解できるかという点も関わっているように感じられる。ある意味当たり前のことかもしれないが、つまり、患者様とひーこ先生との間である程度の信頼関係が築かれていると、先生も話のキャッチボールができるので、話の内容理解により一層努め、患者様の伝えたいことを理解したいと感じるように見受けられる。
 その意味で、感想として二番目に多い漢方処方を希望して来院される患者様の場合、ひーこ先生からの漢方薬の説明を聞こうとされる場合が多いので、話が噛み合いやすく、先生としても患者様の話を聞きやすいのかもしれない。
 
話が噛み合わなかったときは少し落ち込む
 逆に、カウンセリングのように、悩みごとや苦しい心の内をじっくり聴いてもらうことを期待して来院された場合は、ある程度限られた時間で、症状の改善のために何らかの漢方処方を出来ればと考えているひーこ先生との間では、うまく話が噛み合わず、患者様にとって不満を抱かれる場合も出てくる。
 話が噛み合わなかったときは、診察後のひーこ先生の姿を見ると、ある程度予想できる場合が多い。診療録メモを見つめながら、うまく診察できなかったとでも言いたげに、首を横に振りながら、少し元気がない様子に見受けられるからだ。
 そんな姿を見ているわけではないだろうに、一部の患者様のなかには、ひーこ先生の姿を見て、“かわいい”と言う方々もいる。色々な見方があるものだ。

一人の人間として

 高齢になると頑固になると言われる。その真偽のほどはわからないが、歳をとるにつれ、柔和にはなるものの発想や行動の幅に柔軟さは少なくなってくる方々が多いように感じられる。ひーこ先生の場合は、比較的柔軟に色々な意見を取り入れようと日々新しいことを学んでいるが、頑固な一面も時々のぞかせる。

できる限りで自分でやる
 一番多いのが、他人から日常生活上のお世話を受けようとするとき。ひーこ先生の年齢を考え、周りの人々は気遣って手伝おうとする場合が少なくないが、まだ自分でできるという思いが強いのか、お世話されることを断って自分でしようとすることが多い。
 例を挙げると、重たいカバンを肩にかけて、さらに手荷物も持っているので、“手荷物のほうだけでもお持ちましょうか”と声をかけても、“自分で持つ”と言って手荷物を他人に渡そうとしない。また、次女が作ってくれたお昼のお弁当をクリニックで食べたあと、弁当箱は他人の分まで自分で必ず洗う。他人は譲らない。老人扱いされたくない、できる限り世話にならずに自分でできることは自分でしたいという思いが強いように見える。さらには、クリニックからの帰りに、居室ビルのエレベータの昇降ボタンを押すのは自分の役割、という感じで他人には押させない。ご自身は消毒液を携帯しているので、コロナ禍での先生なりの気遣いらしい。ただ、ひーこ先生に昇降ボタン係をさせている光景はなんとも心落ち着かない。

自分で費用を払いたい
 世話になりたくないというのは金銭面でも感じられる。ひーこ先生は、食事に一緒に行けば、必ず自分が費用を出そうとする。ごちそうになるのは嫌なようだ。誰かしら訪問を受けたりすると、自身の子供相手でも必ずお土産を渡そうとする。“結構です”と丁重にお断りしても、手ぶらでは帰さないと心に決めているかのように渡そうとする。他人の世話にならず、費用も負担し、お土産も渡そうとすると、当然ながら収入が必要だ。ひーこ先生の、まだまだ働いていたい、頑張りたいという気持ちの奥には、もしかしたら自分で費用を払っていたいという思いもあるのかもしれない。