2023年12月1日一人の人間として

ひーこ先生のささやかなマイブーム
 前回の36話でひーこ先生のうなぎ好きについて書いた。好物は他にも色々あるようだが、時々で移り変わることも多いらしい。現在は、クリニックでのひーこ先生のマイブームの一つが、午前診療と午後診療のあいだの、コーヒー(お茶)ブレイクとお菓子タイム。
 最近は午前診療が15時ぐらいまで続くことが少なくないので、次女が作ってくれるお弁当を食べるのは15時ごろになってしまう。16時から午後診療が始まり、患者様はそれより前にお越しになるので、昼のランチタイムはあまり時間の余裕がないことが多い。
 普通のご高齢の方ならお弁当を食べてお茶を飲めば、もう午後診療の時間となるのだが、ひーこ先生は、午前診療の疲れも見せず、お弁当を早々に食べ終え、自分でドリップコーヒーを入れたりお茶を入れたりして、お菓子を添えて飲む。お弁当を食べる準備はもちろん、お弁当箱を洗ったり、後片付けも自分でやるので、昼休みもお茶やコーヒーを飲み始めるまでクリニック内を忙しく動いている。
 お菓子をつまみつつ、コーヒーやお茶を飲みながら、ようやく落ち着いて午前診療のことを振り返り、診断書などの書類を書いたり、他院と連絡を取ったりしている。あっという間に短い昼休憩は終わるが、時間がなくても、ひーこ先生はコーヒー(お茶)ブレイクとお菓子の時間はほぼ欠かさない。受付係にも溢れんばかりにコーヒーやお茶を注いだマグカップを「はい、どうぞ」と渡す。もちろんお気に入りのお菓子を添えて。

ひーこ先生のお気に入りのお菓子とは
 ひーこ先生のお気に入りのお菓子といっても、決して高価なものではない。もちろん虎屋やGODIVA好きの先生なので、虎屋の羊羹やGODIVAのチョコやクッキーなどがあれば言うことはないが、ドラッグストアで安売りをしているようなチョコやクッキー、バームクーヘンで十分。どこかのドラッグストアで買ってきて、クリニックに持参してストックしている。お菓子はたくさんではなく、働いた脳が欲している分だけ。お菓子を頬張り、コーヒーを口にしながら、にこやかに微笑むひーこ先生の姿が、午後診療の前にある。

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先生の好物
 敬老の日、お彼岸と祝日が続いたので、ひーこ先生に改めて”今食べたいものは何ですか?”と尋ねてみた。”うなぎ!”と即答された。たまにはいいかもと思いつつも、うなぎは値段が高いので、牛丼チェーン店で提供している鰻丼やうな重を食べ比べてもらうことにした。
 せっかくだからと、鰻は二枚重ねを注文して、先生に食べてもらった。結果的に一週間のうちに2回も鰻を食べることになったが、2回とも完食。一般男性でもお腹いっぱいになるくらいボリュームがあったが、”ちょっと多いね”と言いながらも、残さず平らげて、そのあとモンブランのデザートも完食。好物だからか、成人男性なみの食欲だ。その後、3時間のWeb講習をこなした。
 ひーこ先生は、日頃診察室で、患者様に朝食をきちんと摂って、栄養をしっかり摂ることが抑うつ気分の改善には大切であることを伝えている。患者様に伝えるだけでなく、自身も率先して実践しているのかもしれないが、健康維持のために、食欲は重要な要素であることを目の当たりにした。

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新幹線に乗って横浜から受診された患者さんに感嘆する「ひーこ先生」 
 今年1月中旬にひーこ先生が人生初のエッセイ本を発刊したことは以前に書いたが、いつの間にか増刷を重ねている。京都新聞にインタビュー記事が出たり、出版社の好意もあって書籍の新聞広告が地方新聞を中心に掲載されたり(3月には毎日新聞にも掲載)して、少しずつでも全国各地でひーこ先生のファン?が増えている模様である。
 先日は、横浜から新幹線でクリニックに受診にお越しになった方もいた。書籍の内容に感銘を受け、”是非直接お会いしたい”ということで、受診のご予約をした上でご来院されたことには、正直ひーこ先生も驚いた。何かに強いこだわりを持ったりすることのほとんどない先生は、誰かのファンになったりすることがほぼないので、”推し”もいなければ、尊敬する誰かの足跡を辿ったりというようなことも全くない。そのため、「横浜からわざわざ新幹線でお越しになるなんてビックリ!すごいよね」と、ひとしきり感嘆の声を上げていた。
 受診の際に、書籍を持参され、”サインをお願いします”という方もいらっしゃる。そんなときは、嫌がらずにサインをしているようだ。

実際に会って何か生きる力、前進する勇気を得てもらえば有り難い
 書籍を読んで受診された方々が実際にひーこ先生に会って、どのような感想をお持ちになったかはわからない。”90歳なんてとても見えず、若々しくて本当に驚きました”、”漢方の話をされるときはあまりにエネルギッシュで圧倒されました”、”刺激を受けました。私も頑張ろうと思いました”、”書籍で書かれていることが自分に対して書かれているのではないかと思うほど、いちいち納得できたので、先生に相談したかったのですが、相談できて本当に良かったです”などといった言葉をいただくが、ひーこ先生に実際に会って、何か生きる力、前進する勇気を少しでも得ていただけるとしたら、先生にとっても有り難いことのようだ。

普段と全く変わらず、どの漢方が最適かを一生懸命に考える
 ただ、ひーこ先生は、多少なりとも反響があって書籍を読んで来院される患者様が増えたことは理解しているものの、自分から書籍のことをほとんど話題にすることはない。それは京都新聞の新聞記事の場合と全く同様である。人に自慢話をしたりしないだけでなく、書籍を読んできたという患者さんに対しても、書籍の感想などを尋ねることなどせず、普段と変わらない診察を行う。患者さんの受診のキッカケが何であれ、患者さんが訴える症状に対して、どの漢方が一番最適だろうと一生懸命に考えて患者さんに話す姿が今日もクリニックにある。

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戸惑いながらも人生初の出版
 ひーこ先生が人生初のエッセイ本(「ほどよく忘れて生きていく」サンマーク出版)を出版した。
 元来は表に出たいタイプではないので、通常は自分のことを開示することはほとんどしない。今回も、本人が出版したいと希望したわけではなく、昨年の5月頃に出版社からお話をいただき、皆さんのお役に立てるなら、また本を出せるなんて人生で誰しもが経験できることではないからと、了解した。しかし、実際のところは複雑な思いを抱えているに違いない。
 「恥ずかしい」という言葉はひーこ先生の口から何度か聞いた。読んだ人がどう思うか分からないことに対する不安や、”その年齢でこんな本を出しておこがましい”と知っている人から言われるのではないか、という不安も感じてきたようだ。いつもは楽観的な先生だが、今回は初めてのことで、先が見えないだけに戸惑いも見てとれた。だが、出来上がった本を見てからは、後戻り出来ないと感じたのか、不安を口にすることはなくなった。

読者がもっと自分を大事にすることが出来、少しでも読者の役に立てれば嬉しい
 クリニックを開業して、ようやく患者様がお越しになり始めたころ、通院している方のSNSを介して、ひーこ先生の存在が出版社の方の目に止まった。先生は当たり前のことを普通にしているだけという感覚だが、一般的に考えると、7人の子育てをし、専業主婦を経て50歳を超えて精神科医として復帰し、89歳でなお新規開業、しかも漢方メインの心療内科の女性医師という存在は、当たり前ではなかったということらしい。通院して下さった方のSNSを介して話が広がったことを、先生は不思議な縁と有難く感じている。
 本日1月19日の発売日を迎えて、書籍タイトルを見ながら、「”ほどよく忘れて生きていく”って、認知症になって生きていくのがいいですよ、って言いたいんじゃないからね。そんなふうに勘違いされたら困るけど」と苦笑いしながら話す。何歳からでもやりたいと思うことがあればやってみてほしい、周りに色々な気を遣って我慢していた人がもっと自分を大事にして生きてもらえたら、というひーこ先生の思いが、読者の方々に少しでも伝わり、少しでも多くの方がこれからの人生を前向きに楽に過ごしてもらうと同時に、自分の生きてきた人生が人の役に立てるのではあれば嬉しいという先生の願いが実現することを心から願う。

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 2022年11月、クリニックを開院してなんとか一周年を迎えた。年末28日には2022年の最終診療を終え、2022年を無事?乗り越えることができた。患者さんや家族をはじめ、多くの方々に支えられて、なんとか一年経った。

一年前の不安を都合よく忘れている
 振り返れば、開院前はひーこ先生にとって不安は決して小さくなかった。患者さんのお役に立てるのか、患者さんはお越しになるだろうか、自身の健康面は大丈夫だろうか、コロナに罹患しないだろうか、などなど挙げればキリがないぐらい不安材料はあり、周囲からの反対もあった。体調も崩した。高齢で頑張ることをマイナスに受け取る向きも少なくなかった。
 受診される患者さんの中には、悲しい出来事や不安な気持ちをずっと抱えている方が少なくない。思い出しては苦しくなる。その気持ちが強いほど簡単に消えるものではないように感じる。
 しかし一年経って、ひーこ先生は開院前の不安を都合よく忘れているようだ。ガランとしていたクリニックや苦しんでいた日々のイメージはあまり先生にはなく、初めから患者さんがお越しになっていたかのように話すことが多い。もしかすると、自身の中では、不安な気持ちも覚えているものの、あえて忘れるようにしているのかもしれない、と周りは考えたりするが、真意は分からない。

一年前と変わったところ
 一年前と変わったところと言えば、ひーこ先生が少し太ったこととクリニックでの脚を鍛えるエクササイズを増やしたことだろうか。本当に太ったかどうかは周りからは分からないが、クリニックでの昼ごはんの時間が15時近くになってしまうことや、午後診療のある日は夕食の時間が遅くなってしまうことは太る要因になっているかもしれない。
 また、クリニックへの出退勤時には歩くが、少し歩く距離や時間が減っていてカロリー消費も減っているかもしれないこともあり、脚の筋肉を鍛えるために、フィットネスクラブ発案のバウンドクッションを新たに手に入れて、午前診療と午後診療の間に利用し始めた。バウンドクッションは、座ったままで誰でも簡単に下半身の筋肉をシェイプアップできるようなので、毎日3分間ずつだが、エクササイズしている。少しでも効果が出て、大腿部の力が向上したら、普段歩く距離を延ばしてみようか、とひーこ先生は話す。新たな挑戦を始めたようだ。

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早食いのデメリット 
 ひーこ先生は食べるスピードが普通の人に比べては速い。急な分娩対応に迫られることによる産婦人科医(元)としての職業グセなのか、若い頃からずっと続いているらしい。
 大食ではないが、普通の大人の量をしっかり食べきる。うなぎは好物ながら、基本的にあまり高価な食事は望まない。ただ、味には敏感で、美味しい場合は“美味しい”、美味しくないと感じた場合は“美味しくなかった”と比較的はっきり口に出す。早食いながら、しっかり味わって食べているようだ。
 早食いは脳の満腹中枢が刺激される前に食事を食べ終わってしまうので、食べ過ぎにつながったり、血液中の糖を急激に上昇させ血管内部にダメージを与えるため、それを繰り返すことで、心筋梗塞や脳梗塞、糖尿病や認知症、がんになるリスクも懸念され、デメリットが多いと言われる。また、高齢になると、よく噛んで食べないと誤嚥による肺炎の危険性が高まるので、とくに注意が必要だ。

ゆっくり食べている時間がない
 しかし、次女が作ってくれる昼のお弁当を美味しそうに食べる、ひーこ先生の姿を見ていると、なんとも微笑ましい。最近は午前の診察が15時ぐらいまで延びることが少なくないので、午後の診察開始まで間があまりなく、実際のところゆっくり食べている時間もない。昼食の時間が遅くなるので、“お腹は減りませんか?”と尋ねるが、“全然”とひーこ先生は答える。患者さんと接しているとあまり気にならないらしく、たまたま午前の診察が早めに終了した日には、かえって“お腹が減ったね”と言う。比較的昼の休憩時間があるときぐらい、ゆっくりお弁当を食べればいいが、時間があってもなくても、食べるスピードはあまり変わらない。
 口の中に食べ物が入っているときに、お茶を一口飲んでむせるときがあり、そのときはドキリとする。長年の習慣を変えるのは簡単ではないが、今からでも早食いは直してもらわないと心配ではある。ただ、数あるクリニックの中でひーこ先生のクリニックを選んで、勇気をもって来院してくださる患者さんの置かれた状況に少しでも応え、一人でも多くの患者さんと対したいというひーこ先生の希望を叶えようとすると、どうしても昼休みの時間は短くなりがち。なんとも悩ましいところだ。

一人の人間として

脳の若さを保つ所作に溢れている
 “メンタルヘルスx運動の第一人者が、心の不調に効く運動法について、最新科学のエビデンスに基づいて紹介する”と謳っている新刊書籍「うつ病は運動で消える~神経科学が解き明かした「心の不調」のリセット法」(ジェニファー・ハイズ(著)、ダイヤモンド社)の第5章「認知症を予防し、脳の若さを保つ」には、認知症リスクを下げ脳の若さを保つために、いかに運動の効用が高いか、が記されている。
 その内容を読んでいると、ひーこ先生の日頃の発想や言動は、認知症リスクを下げ、脳の若さを保つ所作に溢れていることを感じる。
 例えば、上記の書籍には、歳を取ると体力や気力が衰えるという加齢の固定観念が老化をまねく、あるいは認知症は心配したり、記憶力の衰えに意識を向けるほど思考力に悪影響が出て、認知の衰えは現実になるといった内容が記されているが、ひーこ先生は、本当に自身の年齢のことを考えていない。年齢のことを言われるのを嫌がるばかりでなく、年齢に関わらず脳は成長すると思っている。現在、日本精神神経学会や日本東洋医学会の専門医を取得しているが、4年ないし5年後の更新を見据えて講演会を視聴することを怠らない。
 また、否定的なことを考えたり、年齢の固定観念に囚われず、前向きなこと、新しいことにいつも関心を寄せている。患者さんにもよく“楽しいことを考えて!”と声掛けをするのは、自身がそのように考えているからのようである。
 余談ではあるが、ひーこ先生はSDSうつ病自己評価尺度といううつ病のスクリーニング簡易検査の20項目ほどの点数を足し算するスピードがすごぶる速い。少なくとも、近くにいる筆者よりも遥かに速い。

年配者の固定観念を持ち合わせていないよう
 加えて、上述の書籍では、“固定観念の脅威は、高齢者の身体能力にも影響を与えます。歩く速さのような基本的な能力すら変えてしまうのです。年配者は足が遅いという固定観念があります。この意見があまりにも強いため、多くの高齢者は固定観念の期待の低さに合わせるように、つい歩く速度が遅くなってしまうのです”と述べている。以前のブログでも書いたが、ひーこ先生は歩くスピードがなぜか速い。歩幅は狭いものの、なぜそんなに焦って歩くのですか?と聞きたくなるように足を動かして前に進む。気持ちが前を向いているが、やることがあるからなのか・・・。少なくとも、ひーこ先生は、年配者は足が遅いというような固定観念などは全く持ち合わせていないようだ。

一人の人間として

 高齢になると頑固になると言われる。その真偽のほどはわからないが、歳をとるにつれ、柔和にはなるものの発想や行動の幅に柔軟さは少なくなってくる方々が多いように感じられる。ひーこ先生の場合は、比較的柔軟に色々な意見を取り入れようと日々新しいことを学んでいるが、頑固な一面も時々のぞかせる。

できる限りで自分でやる
 一番多いのが、他人から日常生活上のお世話を受けようとするとき。ひーこ先生の年齢を考え、周りの人々は気遣って手伝おうとする場合が少なくないが、まだ自分でできるという思いが強いのか、お世話されることを断って自分でしようとすることが多い。
 例を挙げると、重たいカバンを肩にかけて、さらに手荷物も持っているので、“手荷物のほうだけでもお持ちましょうか”と声をかけても、“自分で持つ”と言って手荷物を他人に渡そうとしない。また、次女が作ってくれたお昼のお弁当をクリニックで食べたあと、弁当箱は他人の分まで自分で必ず洗う。他人は譲らない。老人扱いされたくない、できる限り世話にならずに自分でできることは自分でしたいという思いが強いように見える。さらには、クリニックからの帰りに、居室ビルのエレベータの昇降ボタンを押すのは自分の役割、という感じで他人には押させない。ご自身は消毒液を携帯しているので、コロナ禍での先生なりの気遣いらしい。ただ、ひーこ先生に昇降ボタン係をさせている光景はなんとも心落ち着かない。

自分で費用を払いたい
 世話になりたくないというのは金銭面でも感じられる。ひーこ先生は、食事に一緒に行けば、必ず自分が費用を出そうとする。ごちそうになるのは嫌なようだ。誰かしら訪問を受けたりすると、自身の子供相手でも必ずお土産を渡そうとする。“結構です”と丁重にお断りしても、手ぶらでは帰さないと心に決めているかのように渡そうとする。他人の世話にならず、費用も負担し、お土産も渡そうとすると、当然ながら収入が必要だ。ひーこ先生の、まだまだ働いていたい、頑張りたいという気持ちの奥には、もしかしたら自分で費用を払っていたいという思いもあるのかもしれない。

一人の人間として

 ひーこ先生の通勤手段は、市バスと徒歩だ。診療のある日は、重いカバンを肩からかけ、次女の作ってくれたお弁当を別の袋に入れて、一人で家を出る。最寄りのバス停までの2~300メートルを歩いてバスに乗り、クリニック近くのバス停で降りて、クリニックのあるビルまで歩く。 

無意識にいつも速く歩く
 歩くスピードはとても速く、中高年の成人男性とほぼ同じ速度である。どうもゆっくり歩くという考えは持ち合わせていないらしく、常に速い。ただ、加齢に伴い、腹筋が弱くなり、膝や股関節は固くなっているためか、多少背中が曲がったようなシルエットで少し前のめりに歩くので、雨や雪の日などは道路で転けないか、周りは心配になったりする。加齢に伴い、身長も10cm近く低くなっていて、歩幅も狭くなっているので、周りから見ると、余計に前のめりに早歩きをしているように見える。実際、雪の日にすべって尻もちをつき、尾てい骨を骨折したことがある。

歩くのが速い人は老化が遅い?
 しかし、周りが心配を実際に声にすると、ひーこ先生は心配ご無用といった返答をし、今日も変わらずスタスタと多少前のめりに歩いている。イギリスで40万人以上の遺伝子データと歩行ペースを分析した大規模な研究にの結果、運動量に関係なく「歩くのが速い人は老化が遅い」ということが示されたという記事を目にしたことがある(“Investigation of a UK biobank cohort reveals causal associations of self-reported walking pace with telomere length | Communications Biology” Nature 2022年4月号)。「歩く速度によって心疾患で死亡するリスクが変化する」ことや、「歩く速さと脳や体の老化には関係がある」ということも最近よく言われるが、ひーこ先生を見ていて、歩く速さは老化と関係しているかもしれない、と改めて考える。

日常生活の中で日々努力する姿は微笑ましい
 ひーこ先生は、バスに乗った場合も、多少人が立っていると座席に座らずに、手すりに捕まりながら立っていることがよくある。ご本人は“膝が痛い”とよく口にするし、以前に比べれば、少しでも長い距離を歩くと息が上がるようになり、思うようにいかない体にもどかしくなることもあるようだが、暑い中歩いて出勤し、ドアを開け、顔を真っ赤にしながら「おはようさん」と挨拶する姿は、微笑ましくもある。

一人の人間として

片付けが不得手 
 誰にでも不得手はある。ご多分に漏れず、ひーこ先生にも不得意なものがある。片付けが得意ではない。
 専業主婦時代は、毎朝夫の歯科診療の準備を消毒からこなしていたので、掃除や片付けが嫌いなようには見えないが、細かく収納場所を決めてまめに片付けるということはしない。性格が大らかであることも影響しているように思われるが、専門書籍などの本は平積みされていることが多い。「どこに何があるかはわかっている」「収納棚や本棚があれば片付く」と本人は話すが、収納棚などを置くスペースがないため、平積みの本を一旦片付けてからということになるので、実際のところあまり収納は進まない。なぜスペースがないのか。

物を捨てない
 物を捨てないから。片付けが不得手な最大の要因が“捨てない”ことだと思われる。ひーこ先生は「もったいない」という言葉をよく口にする。戦中戦後の物が無い時代を過ごした経験からかもしれない。しかし、宅配便で届いた荷物の梱包用ダンボールをとっておく。贈り物でのしが付いていれば、のしもとっておいたりする。さらには、A4の大きさの使用済み封筒なども大切にとってある。子供の40年以上前の学生時代の制服も保管している。本人に尋ねると「誰かその学校に行くかもしれないし、そのときはあげようと思って」という回答が返ってきた。大切な気持ちだが、果たして40年以上も前の制服が今の子供に必要になる機会があるのか。
 当然のように、書籍関係も捨てないで置いてある。何十年も以前の専門誌も。スペースは狭まるばかり。古紙回収に出したり、古本屋に委託するということをしない。ましてやメルカリに出品することは頭の中にもない。
 ただ、色々なものを保管しているので、ごく稀に助かる場合がある。そのことに対して感謝の意を表すと、「ほら役に立つでしょ?」とでも言わんばかりの微笑みを浮かべ、子どもたちが何かを捨てようとすると悲しい顔をする。
 そんなひーこ先生の姿を見て、子どもたちの片付け上手下手は二つに分かれる。似る子ども、反面教師になる子ども。ただ、世の子どもたちの多くが「早く片付けなさい!」と母親から怒られている場面を見聞きするが、そのような場面に遭遇したことがないことは、ひーこ先生の子どもたちにとって幸せだったと言えるのかもしれない。