第8話 原動力の源流を辿る3

2022年4月27日

 ひーこ先生の子育ては、もちろん大変なことばかりではなかった。七人の子どもたちは、それぞれにひーこ先生から愛情を感じながら、にぎやかな家族のなかで、事件や事故を起こすことなく、比較的自由に成長していった。

無理をしても子どもたちに寄り添う
 子どもたちが困っていたりすると、自分が多少無理をしても手伝う側面がひーこ先生にはあり、子どもの夏休みの課題などを手伝って徹夜したりすることもよくあった。そんなときでも、翌朝はいつも通り家事をこなして、体がきつそうな素振りは見せなかった。子どもたちに必要だと思ったり、子どもがやりたいと望めば、習い事も極力させた。そろばん、ピアノ、エレクトーン、バイオリン、柔道に、絵画教室、塾など、お金がかかって多少無理してでも、なんとかやり繰りしながら習わせた。無論、子どもたちには親がやり繰りしていることは知る由もなく、習い事の帰りに時々美味しいものを奢ってもらうことを楽しみに通っていたのかもしれない。

“大らかな”性格
 子どもたちは、自分たちが小さかった頃のひーこ先生のことを語るとき、良く言えば“大らかな”性格のことを微笑ましく回想する。家族が九人もいれば、各自の皿に料理が盛り付けられるような手間のかかることはなく、肉と野菜が大皿にドンと載っていて、それを各自が自分の取り皿に取って食べた。もちろん早い者勝ちなので、のんびりしていると料理にありつけない。のんびりした大人しい性格の子どもが育つはずもなかった。
 子どもたちに持たせるお弁当は、ひーこ先生の性格を物語る一つの象徴だった。白ご飯に白い餃子ということもあった。ご飯が炊けるのが朝の通学時間に間に合わず、昼休みに学校にお弁当を届けてもらった子どもがお弁当を開けてみると、おかずの入れ物にも白ご飯が入っていて、白ご飯をおかずに白ご飯を食べた、というエピソードもあった。
 ひーこ先生には潔癖症のところがあり、夫の歯科診察室の医療器具を毎日消毒するのに合わせて、他のところもよく消毒液で消毒していたため、子どもたちは学校でよく消毒液のニオイがすると言われていた。勢いあまってノートパソコンを消毒液で拭き掃除することもあった。残念ながら、パソコンの基盤に消毒液が染み込んでショートし、壊れたりしたこともあった。

上の兄姉が下の弟妹の面倒を見て、ひーこ先生を助ける
 子どもが多いので、旅行に連れていくというのは大変なことだった。そのため、旅行の行き先は決まっていた。毎年夏休みになると、日本海のある海水浴場で子どもたちは海水浴をした。それが恒例かつほぼ唯一の家族旅行だった。
 子どもたちは、男部屋と女部屋に分かれ、兄弟喧嘩をしながらも、誰かひとりが歌いだせば、勉強をしていても他の誰かが一緒に歌いだす。そんな共同生活をしながら成長していった。下の子どもたちが生まれる頃には長女・長男は手伝いのできる年齢となり、小さな弟妹たちの面倒を見て、母親を助けた。
 ひーこ先生は長女・長男などに助けられながら、家事・育児に埋もれることなく、専業主婦時代を過ごしていった。