一人の人間として

肌のお手入れ
 ネット上に掲載されているひーこ先生の写真を見て、「ものすごくお若く見える」「90歳とはとても思えません」といった外見の若さに関する感想を聞くことが多くある。ひーこ先生本人は年齢のことを改めて言われることを好まないが、暦年齢からはかなり若く見えるのは確かだ。実際、近くで見ても顔にシワが非常に少ない。羨ましい限りだ。その秘訣は何なのか。
 一つ確実に言えることは化粧品、とくにスキンケア製品にお金をかけていることだ。比較的若いときから、ずっと変わらずに資生堂のクレ・ド・ポー ボーテを使い続けているらしい。本人としては、“お酒もタバコもしないし、貴金属や贅沢品も買わないし、旅行にも行かないから、このくらいは贅沢してもいいかなあって思って“と少し恥ずかしそうに話す。
 化粧水、美容液、クリーム、そして化粧下地にファンデーションはすべてクレ・ド・ポーのようだ。ただ、本人曰く、厚く塗らないので、一つで長く持つらしい。つまり、毎月買うわけではなく、買う頻度は少ないが、良いものをスキンケアに使い続けているというわけだ。今でも、鏡で自分の顔を見て目の上に少しシワが出てきたかも?と感じると、シワ改善美容液を部分使いで少しずつ塗り続けたら、4ヶ月目ぐらいからシワが消えてきたという話も聞いた。これもクレ・ド・ポー。

継続は力なり
 最近では、男性も若い世代を中心にスキンケアに化粧品を使うのが普通になってきているが、ひーこ先生のシワの極めて少ない顔をまじまじと見ながら、スキンケアの大切さ、そして継続することの大切さを痛感する。大切だとは思っても、大切なことへの投資をずっと続けることは難しい。ただ、続けていれば結果が出ることをひーこ先生は身をもって教えてくれている。

2022年5月19日一人の人間として

興味・関心のあることにチャレンジし、行動しながら学ぶ
 専業主婦時代、家事や子育て、夫の歯科診療所の手伝いなどに追われながらも、ひーこ先生は自身の関心のあることに積極的にチャレンジした。四柱推命、女子栄養大学(栄養学)の通信課程はその代表であるが、それ以外にも興味があることにはまず飛び込んで、行動しながら学んだ。卒業までは至らなかったものの、実は慶応大学文学部(通信課程)にも入学し、主に心理学を学んだ。その行動力は子どもたちも驚くばかりで、知らないうちに、いつの間にか学びが始まっているというのが少なくなかった。その学びに対する貪欲さというのは90歳になった今でも健在である。
 四柱推命は、独学ではなく先生に師事して本格的に学んだ。動機は子どもたちの健康や将来のことで、何か気づきがあれば備えたいというところからだったとひーこ先生は言うが、家族の運勢をみるだけではなく、医師に復帰してからは周りの人たちの運勢もみて、親身にアドバイスをした。
 女子栄養大学の通信課程では、忙しいなかでも添削課題を提出し、スクーリングもこなし、無事卒業を果たした。そのときに学んだ栄養に関する知識や関心は、心療内科で患者さんと会話する中にも随所に表れる。必ずと言っていいほど、患者さんの日常的な食生活を尋ね、食事や栄養が偏っていないかを確認する。ひーこ先生は、精神と栄養とは深く関連していると考えていて、ビタミンB群などが不足しているとうつ病になりやすいという研究報告もあることから、患者さんの栄養状態には関心が深い。専業主婦時代の学びはそんなところにも生かされている。

学びと行動の結果、現実がいつの間にか変化していく
 学ぶこと、成長することにつねに前向きで、現状に甘んじたり、埋もれたりすることがほぼない。多くの場合、目の前の希望のない現実が今後も続くかもしれないと考え、不安で一杯になるように思われるが、ひーこ先生の場合、同じように不安になったり、逆にその現実と対峙してもがいたりわけではなかった。様々な厳しい現実を目の前にしながらも、自身の関心あることにチャレンジしながら、周りの役に立ちたい、そのためにさらに学びたいという想いをもち、行動しつづける。そして、自身が学び、成長する過程で、目の前の現実がいつの間にか変化していく、そんなひーこ先生の専業主婦時代の日々だった。

一人の人間として

 未病への対応という理想や、医師としての使命感、漢方を広めたいという熱い想いも持ちながら、基本は患者さんや周囲の人たちのことを考えたり、心配したり、その人たちのために何かすることが楽しく、それが日頃のひーこ先生の原動力ではないか、という話を書いたが、ひーこ先生がなぜそんなふうな想いを抱くようになったのか、少しその源流を辿ってみたい。

病理学教室の大学院修了、そして産婦人科医師としての出発
 10歳ごろ、親から“これからは女の子は手に職をつけないといけない。医者か弁護士を目指せれば”と言われたのがきっかけで、医者の道を志したようである。
 京都のある医科大学に在学時、病理学教室でタイピストのアルバイトをした縁で、大学院も病理学教室に所属したという。当時は今のようにパソコンの文書アプリがあるわけではなく、教授はじめ研究者が英語で論文を書く場合はタイピングが必要であったが、少しでも間違うと全文打ち直しになるため、優秀なタイピストを教室に置いておく必要があり、教室側がひーこ先生を離さなかった可能性がある。ひーこ先生も必要とされることはまんざらでもなかったのか、流れに任せて大学院はタイピストも継続しながら病理学教室で過ごすのだが、そこで将来夫となる男性と出会うのだがら、人生の巡り合わせは分からないものである。

結婚、出産、そして専業主婦へ
 大学院修了後、ひーこ先生は医師(医学博士)として産婦人科教室に入局したが、ほぼ同時期に結婚、出産(長女)を経験している。そこから8年の間に5人の子宝に恵まれたが、短い産休期間を経て、すぐに産婦人科医として現場に復帰することを繰り返した。その間ずっとひーこ先生の母親が毎日家に通って子育てを手伝った。母親との二人三脚でなんとか医師としての歩みを止めなかったが、5人目の三女が誕生したとき、さすがに医師としての歩みを一時停止する決断をする。
 ある意味、医師としての初期は、結婚、出産、子育て、仕事との両立と、人としての活動は忙し過ぎるほどだったが、医師として集中できる環境にはなかったとも言える。そして、その後専業主婦へ。自分がこのような状況に遭遇した場合、医師としての道は絶たれたと悲観的に捉える人もいるかもしれない。しかし、ひーこ先生はそうは感じなかった。

2022年4月12日一人の人間として

 未病への対応という目標がひーこ先生の原動力の一つだということを述べたが、そのことを日頃つねに考えて行動しているわけではないと思われる。では、ひーこ先生は日頃どんなことを考えて行動しているのだろう。

患者さんや周囲の人たちのことを考えたり、心配したり、その人たちのために何かすることが楽しい
 ひーこ先生が自らの考えを言葉に出すことはあまりない。ちょっとした会話や言動から推察するしかない。
 言動から見えてくるのは、ひーこ先生は、自分が関わる人のことをいつも考え、心配しているように映ることだ。診察の翌日、“昨日の朝日さん(仮名)への漢方は人参養栄湯のほうがいいかもしれない”“先日来られた夕日さん(仮名)は、もしかするとコロナの後遺症で免疫力が低下していて症状が出ているのかもしれない”などと、何の脈略もない場面で、急に話し始めることがよくある。また、孫やひ孫の誕生日をよく覚えていて、“誕生日プレゼントは何がいいだろう?”“どんなことに今興味を持っているのだろう”とつぶやいている姿をよく見かける。身近な周りの誰かが病気になると、すでに症状が治っているのに、しばらく“大丈夫だろうか?”としつこいぐらいに心配している。
 映画鑑賞や楽器演奏、菜園づくりなどといった一般的な趣味を持っていない、という。本人は“楽しい”と思えるようなことがないから”とか“無趣味なんですよね”などと話すが、患者さんや周囲の人たちのことを考えたり、心配したり、その人たちのために何かすることを楽しんでいるように見える。それが日頃の原動力なのではないだろうか。

医師としての使命感、そして漢方を広めたいという想い
 もちろん、漢方の良さをもっと多くの人に使って知ってもらいたい、という想いは強く、それが漢方クリニックでの診療の原動力であることは確かなようだ。
 また、患者さんの症状が良くなるために少しでも役に立ちたい、という医師としての想いも強く、現在も精神科医療関連、漢方関連の書物・雑誌に毎日のように目を通し、セミナーの案内を目にすれば、当たり前のように参加し、年齢に関係なく医師として今日も成長しようと考えている。セミナーの多くがオンラインになった今でも、その歩みは衰えない。映画を観ていると一時間もじっとしていられないひーこ先生だが、医療関連のセミナーであれば、パソコンの前で平気な顔で2,3時間じっと講演に耳を傾け、メモを取り続けている姿は同一人物とは思えない。