母として

4月から受付を手伝い始め、場の雰囲気が変わる
 2023年4月1日土曜日、クリニックにはそれまでと異なる風景があった。その日から受付には、ひーこ先生の四女で末娘が立つようになった。女性の患者さんが8割以上を占めるクリニックにも関わらず、それまでは還暦少し前の次男が受付に立っていたので、場が一気に華やかに変わった。

ひーこ先生も会話が弾む
 診察前後は、ひーこ先生にとって最良の話し相手の一人。診察前、当日来院予定の患者さんに関する打合せ時も、自然に会話が進み、雑談で和むこともある。診察終了後は、当日の診察のことはもちろん、それ以外のことも会話が弾む。その日の患者さんへ対応が今ひとつ上手く出来なかったと先生が少し落ち込んでいても、翌日の心配事を話していても、末娘と話しているうちに、先生の表情も明るくなっていく。特別な言葉を投げかけられるわけでもないのに。
 通常なら、診察が終了するとパッと白衣を脱いで、身支度を整え、オン・オフのスイッチをすぐに切り替える先生だが、末娘がいると切り替えスイッチも少し緩みがちになる。

土曜日以外はこれまで通り
 末娘は、日頃他院にて医療事務に携わっているが、システムも違うばかりか、ひーこ先生のサポートをしながらなので、慣れるまでは時間が少しかかりそうだ。ただ、ひーこ先生の話を聞いて理解し、先生の気持ちを楽にする力は絶品と言える。ひーこ先生も少しばかり明るくなったように見えるのは気のせいだろうか。しかし残念ながら、末娘が手伝いに来てくれるのは土曜日だけ。それ以外の曜日はこれまで通り頑張るしかない。
 ブレずに黙々と努力していると、ひーこ先生には、不思議にもサポートする人たちが周りに現れ、増えていく。これからも先生に巻き込まれていく人が現れてくる予感がする。

2022年4月27日母として

 ひーこ先生の子育ては、もちろん大変なことばかりではなかった。七人の子どもたちは、それぞれにひーこ先生から愛情を感じながら、にぎやかな家族のなかで、事件や事故を起こすことなく、比較的自由に成長していった。

無理をしても子どもたちに寄り添う
 子どもたちが困っていたりすると、自分が多少無理をしても手伝う側面がひーこ先生にはあり、子どもの夏休みの課題などを手伝って徹夜したりすることもよくあった。そんなときでも、翌朝はいつも通り家事をこなして、体がきつそうな素振りは見せなかった。子どもたちに必要だと思ったり、子どもがやりたいと望めば、習い事も極力させた。そろばん、ピアノ、エレクトーン、バイオリン、柔道に、絵画教室、塾など、お金がかかって多少無理してでも、なんとかやり繰りしながら習わせた。無論、子どもたちには親がやり繰りしていることは知る由もなく、習い事の帰りに時々美味しいものを奢ってもらうことを楽しみに通っていたのかもしれない。

“大らかな”性格
 子どもたちは、自分たちが小さかった頃のひーこ先生のことを語るとき、良く言えば“大らかな”性格のことを微笑ましく回想する。家族が九人もいれば、各自の皿に料理が盛り付けられるような手間のかかることはなく、肉と野菜が大皿にドンと載っていて、それを各自が自分の取り皿に取って食べた。もちろん早い者勝ちなので、のんびりしていると料理にありつけない。のんびりした大人しい性格の子どもが育つはずもなかった。
 子どもたちに持たせるお弁当は、ひーこ先生の性格を物語る一つの象徴だった。白ご飯に白い餃子ということもあった。ご飯が炊けるのが朝の通学時間に間に合わず、昼休みに学校にお弁当を届けてもらった子どもがお弁当を開けてみると、おかずの入れ物にも白ご飯が入っていて、白ご飯をおかずに白ご飯を食べた、というエピソードもあった。
 ひーこ先生には潔癖症のところがあり、夫の歯科診察室の医療器具を毎日消毒するのに合わせて、他のところもよく消毒液で消毒していたため、子どもたちは学校でよく消毒液のニオイがすると言われていた。勢いあまってノートパソコンを消毒液で拭き掃除することもあった。残念ながら、パソコンの基盤に消毒液が染み込んでショートし、壊れたりしたこともあった。

上の兄姉が下の弟妹の面倒を見て、ひーこ先生を助ける
 子どもが多いので、旅行に連れていくというのは大変なことだった。そのため、旅行の行き先は決まっていた。毎年夏休みになると、日本海のある海水浴場で子どもたちは海水浴をした。それが恒例かつほぼ唯一の家族旅行だった。
 子どもたちは、男部屋と女部屋に分かれ、兄弟喧嘩をしながらも、誰かひとりが歌いだせば、勉強をしていても他の誰かが一緒に歌いだす。そんな共同生活をしながら成長していった。下の子どもたちが生まれる頃には長女・長男は手伝いのできる年齢となり、小さな弟妹たちの面倒を見て、母親を助けた。
 ひーこ先生は長女・長男などに助けられながら、家事・育児に埋もれることなく、専業主婦時代を過ごしていった。

母として

家事・育児
 ひーこ先生は専業主婦の道に入った。家事・子育てに専念するようになった後、さらに二人の子どもを出産し、七人の子どもを抱えるようになる。一番末娘の出産を前後して、子育てをサポートしてくれていた実母が病気がちになり、しばらくして帰らぬ人となった。一人っ子のひーこ先生が、このとき相当の重荷と孤独を感じたであろうことは想像に難くない。
 七人であろうとも、子ども全員の希望を叶えるだけ十分な教育を受けさせたいと考えていた夫は、専業主婦になったひーこ先生の分も、必死になって働いた。と同時に、子どもが小さい時期の躾には比較的厳しく、とくに男の子どもに対しては叱って外に放り出すということも少なくなかった。そのときのひーこ先生の役割はそっと子どもたちをサポートすることだった。躾に厳しかった夫だが、ひーこ先生自身とともに、子どもたちにあまり“勉強しろ”という言葉は口にしなかった。のちに“あのとき勉強しろと言われなかったから自由に勉強することが出来た”と振り返って、感謝しながら当時を懐かしむ子もいる。

ひーこ先生を悩ませる子どもたち
 七人もいれば、各自に部屋が与えられるほど裕福ではなかった。部屋は男の子と女の子に分けられ、“男部屋、女部屋”と称された。子どもたちは一人になる環境がなかったこともあり、よく兄弟喧嘩をしたが、ひーこ先生は“兄弟なんだから仲良くしなさい”とよく言った。一人っ子のひーこ先生にとって、兄弟が喧嘩をするということ自体が理解できるものではなかったのかもしれない。
 よく食べ、よく活動し、よく勉強できる環境を与えられた子どもたちだったが、彼らなりに悩みや葛藤も抱えていた。腎炎で長期入院を余儀なくされた子もいた。危ないと噂された宗教団体に首を突っ込む子も現れ、通っている高校の先生にひーこ先生が心配して相談することもあった。登校拒否になって苦しむ子もいた。子どもの飲酒が理由で親が中学校に呼び出されることもあった。その度に、夫は“自分の教育の結果だから仕方がない”と半ば達観したようなそぶりを見せていたが、ひーこ先生自身も、苛立って子どもを非難することはほとんどなかった。夫のことでも心配はあったに違いない。表立って不安や心配な様子は見せなかったが、内心は心配と不安でいっぱいになるときもあったに違いない。

体調を崩したり寝込むことなく日々を送る
 それでも、ひーこ先生は、悩んで体調を崩して寝込んだりすることはほとんどなかった。目の前のすべきことをこなした。本人は“健康な体を与えられていたから”と笑って話す。実際は、日々すべきことが多く、悩んでいる暇がなかったのかもしれないが、家事・育児や大変な現実に埋もれることはなかった。生きているだけで儲けものとか、楽しいことだけを考えるようにした、などというような捉え方の工夫をしていたようでもなかった。ただ、いま目の前にあることだけが人生、とは感じていなかったように見える。

2022年3月19日母として

 ひーこ先生には7人の子供がいる。孫は14人、ひ孫が1人いる。7人の子供の内訳は、男3人、女4人。全員が健在だ。ただ、夫には14年前に先立たれた。

夫に先立たれ、借金も引き継ぐ
 野球が好きだった夫は、家族で野球チームを作りたい(実際、家族9人で人数的野球チームは成立することになった)と笑って言った。歯科医として子供の養育費を必死に稼いだ。子供には勉強しろとは一切言わなかったが、医大、歯科大にも子供を送り出した。しかし、歯科医師会の重責などが身体に負担になったのか、ガンを患い、多くの人に惜しまれながらこの世を去った。夫が亡くなったとき、多額の借金が残っており、そのすべてをひーこ先生が引き継いだが、開業までにひーこ先生はその借金をほぼ返済していた。

家に帰るとひ孫の写真に癒やされる「ひーこさん」
 ひーこ先生はクリニックでは白衣を着て、しっかりした優しい医師に見えるが、家に帰ると「ひーこさん」と家族の呼び名も変わる。ひーこ先生本人はおばあちゃんと言われることを嫌がるが、帰宅すると、おばあちゃんの姿に変わる。iPhoneの待受画面のひ孫の写真を見てほっこりするのが日課である。日々送られてくる、1歳になったひ孫の成長している姿を見ているときのひーこさんの顔は、恋人の写真を見ているかのように笑っている。

いつも子供や孫たちのことを心配している心優しい母、そして祖母
 常日頃、ひーこ先生は、“私は子供たちが全員今も健在で、大きな病気もなく過ごせていることだけでも恵まれていると思う”ということを口癖のように話す。ただ、実際は子供たちや孫、ひ孫のことをいつも心配して、LINEでメッセージを送ったり、プレゼントや食べ物を贈ったりする普通のおばあちゃんだ。だが、時々注文し過ぎたり、気を回しすぎたりして、子供たちから怒られたりする。そんなときはひどく落ち込むが、しばらくすると同じことを繰り返している。周りから観察していると、これだけ子供や孫たちのことを気にするから、ボケないのかもしれない、と思うくらいである。