2022年3月19日心療内科・精神科医として

 令和3年12月の誕生月を目の前にして、通称「ひーこ先生」は京都で心療内科・精神科を開院した。90歳目前で新規開院するなんて馬鹿げている、リスクしかない、患者さんに責任を持てるのか・・・などという声も周囲から少なからず聞こえていた。
 遡ること約一年前、勤務先のクリニック院長から外れ、初診の患者さんを診ることもなくなり、事実上の引退勧告をされており、ひーこ先生は引退すべきか真剣に悩んでいた。

高齢であることによる様々な壁葛藤
 普通に考えれば、89歳まで現役医師として患者さんに向き合っているだけでも大したことと言えるのではないか。周りからよく頑張ったと拍手喝采を浴びてもいいぐらいかもしれない。しかし、ひーこ先生にとって暦年齢は関係なかった。本人曰く、年齢をほとんど気にしたこともなかった。医師に定年がないのも確かなことだった。コロナ禍で心身のバランスを失い、苦しんでいる人が多くいる、という話も周りから聞こえてきていた。
 個人クリニックを開業して、それまで培ってきた30年以上の精神科医としての経験と20年以上の漢方専門医としての経験を生かし、心身のバランスを崩した、とくに女性の患者さんに対して、比較的副作用の少ない漢方処方をメインとした治療を施し、役に立つという選択肢は本当にないのだろうか。高齢であれば本当に引退するしか選択肢はないのだろうか。たしかに、銀行が開業資金を貸してくれるわけでもなかった。

7人の子供たちのサポート、そして開業
 7人いる子供たちもどうすべきか真剣に話し合った。どういう選択が母親にとって周りにとって最良の選択なのか・・・。
 ”治療範囲は広くはないが、漢方処方による精神科通院治療という方法で患者さんに役に立つことはできるかも”という、医師をしている長兄の言葉がキッカケだった。ひーこ先生の想いを実現するために、子供たちがそれぞれ自分たちができることを考え、協力し始めた。旧勤務先の医療法人の責任者はじめ、ひーこ先生の心意気に賛同する人たちも少なからず現れた。三男は知り合いの不動産や工事業者に掛け合い、自分でも内装を手伝った。三男の妻もカーテンを縫った。費用をかけない方法を皆が協力して模索し、汗をかいた。長兄はひーこ先生本人が倒れた場合をはじめとした様々なリスクを考えて、いざというときのために、周りの医療機関に挨拶廻りをした。それまでのひーこ先生の人徳ゆえでもあった。
 開業費用はごくわずかだったが、数か月後、何とかクリニックは開院した。ただ、患者さんはゼロからのスタートだった。